髑髏城の七人 下弦の月 12/06(水)12:30

12/06(水)12:30 観劇3回目 11列上手サブセンターブロック

※ネタバレ満載の備忘録です

宮野真守捨之介と鈴木拡樹天魔王の芝居が変わってた印象。

マモ捨の昔の仲間を救いたいという気持ちが今までで1番強く感じられた。特に捨天の最後の殺陣の後の「馬鹿野郎」という嘆きが痛々しく、立ち直れないのではないかとすら思った。少しドスを効かせたような低めのハリのある声が、さすがの格好良さでとても心地良く耳に残った。

天魔王として囚われそうになった最後、見るごとにボロボロ度合いが増してるようで、千秋楽はどうなっちゃうんだろうかと。宮野捨は、殿の自由に生きろという言葉を真っ直ぐ受け止めて、浮世の義理も昔の縁も捨てようとしてでも捨てられなくて、守るために傘を差し出す心根の優しい兄貴分に思える。

拡樹天魔王は、髑髏党メンバーに対する(見せ掛けの?)優しさが声色からも表情からも見えやすくなった気がした。人の男はこうして人心を掌握して髑髏党2万人を率いたのだなと。森山天魔王などはその強烈なカリスマ性で髑髏党を率いていたのだと思うが、鈴木天魔王は良い意味でそこまでのカリスマ性が無い。理知的に計画的に言葉巧みに狡賢く髑髏党を作り上げたのだろうと思う。特に生駒への呼び掛け。あんな優しい声色で、慈愛すら感じられる表情を向けられていたら、あの狂ったように笑う最期も頷ける。自分の刀に刺さった生駒を見遣った後、殿の最期の言葉を口にするシーン。嫉妬や忌々しさや憤怒、余りにも人間臭さが全面に出ている表情をしていて、憐れで堪らなかった。

伊達渡京がどんどん可愛くなってて気づくと渡京を見ている率が高い。阿佐スパ等で見る伊達さんはものすごく芝居に癖があるイメージだったのに、初日を見たときは「粟根さんの渡京を伊達さんが演ってる」という印象を受けた。カーテンコールで初めてそういえば伊達さんだった、と気づいたくらい。でもそれがどんどん「伊達さんの渡京」になっていってるようで、飄々としてて小物なようで怖いもの知らずで、つまりはとても好き(笑)